やきもの紀行 (旧ぐい吞み旅)
その二十二 愛媛県 砥部町 2001年頃
磁器と民藝が結実した町 砥部焼(続編)








その日は広田村より午後 3 時を過ぎて、ようやく砥部町にたどり着きました。お目当ての梅野精陶所(梅山窯)に直行しましたが、早くも閉店されていてガックリ。気を取り直して、開館していた「砥部焼陶芸館」を訪れました。40 軒の窯元作品を展示販売する物産館でしたが、そこで求めていた「春秋窯」工藤省治氏のぐい呑みに出会うことが出来ました(陶芸館創設に尽力されたようです)。それは、各々見込みに呉須で「雪」、「月」、「花」とだけ書かれたシンプル極まりない白磁でした。氏が築かれた呉須、赤、緑の砥部焼意匠とはまったく対極的に見える静かな境地の白磁でした。1957 年、故郷青森より砥部に移住し、梅野精陶所に入社。陶石の鉄分を削り取る下働きから始め、一職人となって日々ロクロ、絵付けと汗を流し、チーフデザイナーとな って砥部焼の代名詞「唐草文様」など数々のデザインを生み出されてからも、作家として表に出ず、個人の陶磁器研究工房「春秋窯」設立後も“一やきもの屋”として終生一貫した姿勢を貫かれました。民藝の理想を具現化された工藤省治氏こそ今回の旅の大きなテーマでした。
翌日、お留守の春秋窯に伺いました。そこは町外れの里山にポツリとありました。工藤省治氏らしい白い洋式の質素なお住まいでした。その在り様から氏の生き様が計り知れたようで、少し満たされた気分で夕景の山里を去りました。
砥部焼の魅力は、使い勝手が良いデザイン、値段が手ごろ、厚手に仕上げられた堅牢さが日常使いに適していること。そして何よりも手造り手描きで温かみがあり、柔らかく青みがかった磁器肌、その意匠の潔い美しさにあると思っています。
砥部焼が今日広く認知される焼物となったのは、ここでも民藝との出会いからでした。1953 年、柳宗悦、バーナード・リーチ、濱田庄司等が指導のために砥部を訪れ、機械化された他産地よりも手仕事の技術が残っていることを高く評価しました。当時普及し始めていた“機械ロクロ”でなく、“手ロクロ”が主体で、現在も他産地に比べて“手造り・手描き”の伝統が守られています。
その後、本格的に砥部焼のデザイン刷新に乗り出したのは富本憲吉氏でした。人間国宝認定の翌年1956年、70歳を過ぎた富本氏が最晩年の仕事に選んだのが白磁でした。砥部の温かい「淡黄色」に着目し、梅山窯社長 梅野武之助氏に直接手紙を送り、昭和31年から32 年にかけて、約2年間砥部に滞在・指導にあたりました。当時の砥部は、旧態依然とした生産を続け、戦争を経て資本力や技術力も極めて低迷しており、氏は残っていた手仕事と近代的デザインへの転化が急務と感じたようです。1959年、後任として藤本能道氏(3年間指導、後の人間国宝)や京都市立芸大の教え子を梅山窯に送り込みます。藤本氏を中心としたデザインプロジェクトを通じ、梅野社長と若き陶工達は研究会や展示会開催に取り組み、ロクロや絵付け等の技術を磨いてゆきます。砥部焼の“厚みのある形”に“手書きの絵付け”はこの当時生まれたものです。藤本氏の尽力により、丸善のクラフトセンターに砥部焼常設コーナーが設けられ、砥部焼デザインが全国へ普及して行きました。
砥部焼デザインを刷新した工藤省治氏も藤本氏の指導を受けたひとりでした。画家を志していた工藤氏は、小山富士夫氏に「絵付けが出来る砥部が良い」と勧められ1957年、出身地青森から梅野精陶所に入社します。入りたての工藤氏と藤本氏の出会いから後の砥部焼に少なからぬ影響を与えます。工藤氏は、中近東、ヨーロッパ、中国、北欧、インド、韓国と各地を視察していますが、1970年代にイランの博物館でペルシャ陶器の唐草文様をスケッチし、そこから想を得て「白磁染付唐草文」(1972)を考案します。また、故郷東北の“こけし”から菊文が発想されます。工藤氏が語られた『そこには集団で作り上げてゆく情緒がある。一つの模様が普遍性をもって溶け込み、何十年たっても生活の中にあるのはすごいこと』、『74年に春秋窯を開いたが、作品をつくる「陶芸家」でなく、「一やきもの屋」を自称する』、『日本人は個人作家、現代風の表現になり、企業デザインは人材育成をしながら、独自性をだそうとしていますが、大変な作業になっています。私は100ほどある窯との勉強会は「オープン」にして、デザイン、陶画などの教室を開いています。その中では窯主も次第に個性ある器を作り始めています』。
工藤氏が「砥部焼とは何か」の問いに対して語られた『共通したデザインや作風ではなく、手仕事の人たちが自らの美学をしっかりとした技術で表す焼き物』という言葉に普遍的な重みを感じています。
今一度、砥部を訪れる意を強くしました。
【 メモ 】
(砥部 春秋窯 工藤省治作ぐい吞み)
寸法(mm): 長径75x 畳付き径45 x 高さ53(内高台15)
(梅山窯色絵磁器)
- 蕎麦猪口 2 種(唐草、呉須赤菊)
寸法(mm): 長径85x 畳付き径80 x 高さ70(内高台0)
- だし徳利 赤線唐草購入
寸法(mm): 長径68x 口径36x 畳付き40 x 高さ90(内高台0)
- 角瓶下り赤花
寸法(mm): 長径55x 畳付き径47 x 高さ112(内高台0)
砥部焼の歴史
【須恵器の時代】
- 6~7世紀 このころ砥部で須恵器の生産が行われる。大下田(おおげた)第1号/第2号古墳にて発掘
- 747年(天平19)「正倉院文書」に「伊予砥」が税として課徴されたことが記載。
- 927年(延長5) 「延喜式」に「伊予砥」が税として課徴されたことが記載。
【陶器の時代】
- 1740年(元文5)、大洲藩士 人見甚左衛門が書き残した「大洲秘録」に磁器以前、大南村と北川毛村で「トベヤキ」が焼かれていたことを記していた。昭和24年、北川毛の古い窯跡から焼締、飴釉、土灰釉の徳利、茶碗、皿、鉢、片口、油壷、灯芯具、茶器等の陶片が発掘され文献記述が実証された。作り方、模様(すべて鉄絵)から武雄唐津北部系の黒牟田に類似し、朝鮮半島方面から唐津経由で技法が伝わったと考えられる。
【磁器の時代】
- 1775年(安永4)、大洲藩主加藤泰候(かとうやすとき)は大坂の砥石問屋 和泉屋治兵衛からの進言を受け入れ、御中老・加藤三郎兵衛に「磁器」生産を命じる。麻生村の豪農で油商を営んだ門田金治を責任者として、五本松の唐津山(上原窯:かんばらかま)で創業を命じる。焼成監督に組頭の「杉野丈助(砥部焼陶祖)」を命じる。肥前長与窯から陶工5人を呼び寄せ、焼成を開始しますが地肌にひびが入り失敗。筑前陶工信吉の釉薬原料に不良があるとの助言により、筑前で新しい釉薬を入手し、1776年に白磁焼成に成功。
- 1818年(文政1)、五本松の向井源治は「川登陶石」を少し灰色がかった地肌より白い磁器焼成に成功。
- 1825年(文政8)、亀屋庫蔵は藩命により、肥前で錦絵の技法を学ぶ。
- 1893年(明治26)向井和平の愛山窯で制作した「淡黄磁」がシカゴ博覧会で1等となる。
- 砥部焼の7割超が海外に輸出される。愛山窯製の磁器を(愛山もの)と呼ぶ。
【不況時代】
- 大正末期から昭和初頭の大不況「により、砥部焼の生産・販売は大きく落ち込みます。
- 瀬戸・美濃といった先進地域では、石炭使用の倒焔式窯や機械ロクロ、石膏型、絵付けでは銅板印刷などの新しい技術が導入されていましたが、砥部はこのような近代化から一見取り残されたかに見えました。
【戦後・民藝以降】
- 1953年民藝運動の柳宗悦、バーナード・リーチ、濱田庄司らが訪れ、機械化された他の産地に比べ、手仕事の技術が残っていることを高く評価しました。
以後の展開については本文記載をご覧ください。
工藤省治略歴:
- 1934年 青森県生
- 1953年 岩手県立水沢高等学校卒
- 1957年 砥部焼 梅野精陶所 入所
- 1963年 東京日本橋丸善 第一回「今日のクラフト展」招待出品
- 1964年 第1回 丸善クラフトセンター賞 受賞
- 1965年 「愛媛現代美術家集団」結成に参加 以後継続
- 1966年 「現代日本新人作家展」招待出品
- 1972年 イタリア「ファエンツァ国際陶芸展」招待出品
- 1973年 「国際デザインコンペティション」出品
- 1974年 陶磁器研究工房「春秋窯」設立
- 1979年 第5回「日本陶芸展」出品
- 1981年 第6回「日本陶芸展」出品
- 1982年 「国際デザイン交流展」(金沢市)招待出品
- 1984年 「伝統と現代」(モスクワ)招待出品
- 1988年 「近代日本の陶芸展」(福島県立美術館)招待出品
- 1989年 第17回 国井喜太郎産業工芸賞 受賞
- 1992年 伝統産業展 生活産業局長賞 受賞
- 1997年 「現代日本のセラミックデザイン展」(愛知県陶磁資料館)招待出品
- 2000年 「現代器考」(東京国立近代美術館工芸館)招待出品
- 2001年 通商産業大臣 デザイン功労者表彰
- 2004年 厚生労働大臣表彰(現代の名工) 平成16年度「卓越した技能者」の表彰
- 2007年 黄綬褒章受賞
- 2015年3月 愛媛県無形文化財砥部焼技術保持者に認定
- 2019年10月 砥部町の自宅にて永眠(享年85歳)
その他、日本クラフトデザイン協会理事長、日本陶磁器デザイナー連盟会長、愛媛県陶芸協会会長を歴任。
参考文献
- 「砥部焼のしおり」 砥部町教育委員会編
- 「砥部焼の歴史 前・後編」 砥部焼協同組合ホームページ
- 「富本憲吉アーカイブ・辻本勇コレクション 平成29年度 活動報告」 森野彰人編
- 「白磁器の名工、砥部焼の工藤省治氏」岩手県立水沢高等学校同窓会/輝く同窓生たち/第五回ゲスト講演
- 「ものしょく 職人紹介 2019.11.06」
