やきもの紀行 (旧ぐい吞み旅)
その二十五 島根県 出雲市斐川町出西 1997年
民藝 + MINGEI / 出西窯















出雲市で一泊した翌朝、先ずはご挨拶に出雲大社に参拝しました。何度伺っても伊勢神宮と双璧をなす神域と巨大な注連縄に圧倒されます。門前町の腰の柔らかい老舗出雲蕎麦でブランチをすませ、秀山焼山下時子さんの「陶花婆展」に伺った後、出西窯に向かいました。
出雲市駅よりタクシーで宍道湖方面へ、斐伊川を渡り約10分、辺り一面何もない田園風景の彼方に出西窯の大きな屋根が姿を現しました。かねてよりその製品のシンプルで、どこかモダンなデザインに魅かれていた私は、少々興奮気味で車を降りました。
広い玄関を入り、声掛けすると40歳前後の女性が忙しそうに出て来られました。見学を伝えると大きな木製階段を上って2階へ案内されました。てきぱきとした口調で「ご自由にご覧になって、決まられたら声掛けください」とだけ言葉を残し、忙しくその場を去られました。その場に取り残された私と家内は、座りつくして周囲の壁際に並べられた製品をしばらくぼんやりと眺めていました。その場が私たちだけだったせいか、とても心地良い空気と時間が流れていたからでした。ようやく腰を上げて、一つ一つゆったりと品定めを始めました。先ず私達の目を引いたのは、全体に深いコバルトブルーの釉が施され、縁取りは焦げ茶の地肌を見せた「静謐な存在感と美しさを持ち、それでいて盛る料理の彩りを邪魔しない器たち」でした。すべてを見終わった時、なんと2時間が経過していました。前述の「縁鉄砂呉須釉」の大皿、饅頭蒸し器、丸深ボウルから白急須、湯呑、赤絵小皿(本来ないはずの赤絵、縁故作家のもの)に至るまで、どれも欲しくなるものばかりでした。ただ、残念なことに何故か酒器類は見当たりません。何か出西窯という共同体の信条あってのことでしょうか(未だ未解明の部分です。従って、今回の投稿では湯呑・番茶碗をぐい呑みに見立てさせていただきました)。
声掛けして清算を済ませましたが、従来訪れた家内工業的な窯元さんとは様子が違い、職員スタッフ的な所作・応対に新鮮ささえ感じました。その当時で既に開窯50周年の集団運営体制を確立されていましたから郁子なるかなです。
階下に降りて、整理整頓された作業場と使い込まれた登窯を見学後、良き買い物をし、良き時間を過ごせた充実感に満たされて出西窯を後にしました。(展示場は、翌年1998年より工房隣の新棟「くらしの陶、無自性館」に移設されました)
最後に、出西窯をこよなく愛された永六輔さんの一文を出西窯栞より引用させていただきます。
出西窯の職人さん達は
窯を育てて来たというより
窯に育てられて来ました。
出雲の為に
器をつくらせていただく
拵えたものを使っていただく
その姿勢に貫かれ
さらに この土地の多くの職人さん
鉄を打ち、紙を漉き
糸を紡ぎ、染め、織りあげる
そうした人々に支えられた
心優しい仕事場。
僕の旅の中で
行くのではなく帰るとすれば
それは出西。
永六輔
出西焼栞より
【 メモ 】
(丸紋)
寸法(mm): 口径64x 高台径39 x 高さ58(内高台8)
(イッチン飴釉)
寸法(mm): 口径70x 高台径43 x 高さ75(内高台10)
(三彩)
寸法(mm): 口径70x 高台径43 x 高さ70(内高台8)
略歴
・1947年(昭22) 井上寿人、影山千代吉、多々納弘光、多々納良夫、中島空慧氏等5人の青年が2名の賛助者の協力を得て陶技の研究に取り組む。
・イギリスの工芸家ウイリアム・モリスや民藝運動の柳宗悦の著作の影響を受ける。
・当時、山陰地方を民芸運動で奔走中の安来出身・河井寛次郎とその旧友濱田庄司の来訪を受ける。
・鳥取民藝美術館を開設した民藝運動家吉田璋也や金津滋の指導により、民藝運動に参加。
・また、隣村の隆法寺住職であった哲学者山本空外上人(後に広島大学教授)に師事し、仏教に集団の理念を見出す。「無自性(むじしょう)―衆縁に従るが故に必ず自性無し(何もかも“おかげさま”で自分の手柄などどこにもあろうはずがないの意)」を精神的な拠り所とし、「温かみのある手仕事」、「実用の陶」、「郷土の原料を大切に」、「腕を磨いて数多く、安価に」をモットーとする共同体として出発する。
・その後も度々、柳宗悦、河井寛次郎、濱田庄司、バーナード・リーチ、鈴木繁男各氏の来訪と陶技指導を受け、また彼らの仕事場であった益子、五条坂、丹波、壼屋に学ぶ。
・1982年(昭57)永六輔氏発来訪。以後、窯にて「お話の会」を定期開催。
・1993年(平5)東京国立近代美術館工芸館にて企画展「現代の陶藝(1)山陰の陶窯―出西窯」開催。
・2000年前後より、柳宗理氏の指導により、柳宗理デザインの器製作を開始。柳宗理ディレクション出西窯シリーズを販売開始する。
・2008年(平20)国際交流基金主催「WA―現代日本のデザインと調和の精神展」(パリ日本文化会館)で「縁鉄砂呉須釉皿」が選ばれ、欧州各国巡回、武蔵野美術大学で帰国展開催。
・以降、代官山SMLとのコラボで器体の外側を無釉とした新作デザインを開発、またファッションブランドBEAMS(特にfennicaは民藝雑貨に着目して注目)での取り扱いなどにより若い世代のファンを拡大している。
・2018年(平30)出西窯敷地内に「ル・コションドール出西」をオープン。「出西くらしのヴィレッジ」をスタートさせている。
参考資料
「出西焼ホームページ」(“出西焼の歴史”は他のどの資料より詳細であり、ご興味のある方には<成立ち>・<略歴>の部分が出西窯の民藝運動上の推移を把握するのに恰好かと思います。)
