クロニクル3
MINGEI ALIVE展から考えたこと
兵庫陶芸美術館で始まった「MINGEI ALIVE-いま、生きている民藝ー」(2025.9.6→11.24)展でのトークセッション(登壇者:鞍田崇氏、安藤雅信氏、内田鋼一氏、コーディネーター:マルテル坂本牧子氏)から帰宅して、タブレットを開いたら、わたしが気に入っている岩手の焙煎者さんからの久しぶりのインスタグラム投稿が届いていました。彼は山深い奥羽山中でご家族と暮らし、透きとおるような自然と人を写真に撮り、珈琲の焙煎をして暮らしている若者です。彼は地元に伝わる神楽を習い、この夏初めて人前で美しく舞いました。経緯は分かりませんがそれを知ったシンガーソングライターの寺尾紗穂さんが盛岡でのライブで神楽を舞ってほしいとの誘いがあったとの投稿でした。
寺尾紗穂さん、聞いたことのある名前だなと思い検索してみました。
ああ、NHKテレビの「Dearにっぽん」でテーマ曲「魔法みたいに」を歌っているひとだと解かりました。そういえば、敬愛する大貫妙子さんのトリビュートアルバムで「Rain」を歌っていたひとでした。ほかの歌も聴いてみたくなり、ストリーミングで最新アルバム「わたしの好きな労働歌」(2025年6月25日発売、こほろぎ舎)を聴いてみました。
澄んだ声で淡々と歌われる労働歌を聴いているうちに、わたしはある感慨にとらわれていました。これらの労働歌から伝わってくる情感は“民藝の愛おしさと似ている。いや通底する同質のものではないか”と。“労働歌を民謡の一部だとすると、民謡と民藝は同質のもので繋がっているのかもしれない。むしろ民謡を通じて感じ取れる愛おしさや親しみは、民藝のそれを考えるとき、とても理解しやすいのではないか”と。
実のところ、わたしが前述の「MINGEI ALIVE-いま、生きている民藝ー」展に出掛けた理由は、“なぜ、周期性を持って民藝がブームとなり取り上げられるのか”、そのヒントを得るためでした。トークセッションの登壇者のひとり、鞍田崇さんの著書『〈民藝〉のレッスン』(2012年1月30日、フィルムアート社発行)や、『民藝のインティマシー「いとおしさ」をデザインする』(2015年3月31日、明治大学出版会発行)が発刊された当時は民藝が再認識されている最中でした。日本ではバブルが崩壊し(1991年)、阪神・淡路大震災(1995年)、労働者派遣法改正(2003ー2004年)、リーマンショック(2008年)、東日本大震災(2011年)に見舞われた時期でした。日本経済が低迷してゆく20年間に、身の回りの生活の見直しが始まり、スローでロハス(LOHAS:Lifestyles of Health and Sustainability)なライフスタイルが模索され始めた時期でもありました。
そのなかで、プロダクツデザインにおいては“生活工芸”というトレンドが、音楽においても“癒し系”トレンドが顕在化しました。この状況下で柳宗悦氏が提唱した“民藝”という思想での“用の美”、“何を「下手物」から学び得るか”が再認識されることになりました。
トークセッションでの鞍田氏解説を私なりにまとめますと、用には“物の用”と“心の用”があり、用を“生活(Life)”に置き換えると“物の生活”と“心の生活”と再解釈できます。
更に、生活をそれぞれ“機能”と“美”に置き換えると、二者は“物の機能”と“心の美”と再解釈されます。そこで鞍田氏の現代的な民藝の解釈として“用の美”とは、“生活に則した愛おしさ(インティマシー)”と言い得るのではということになります。
( “愛おしさ”と言う、ともすると曖昧なキーワードについては、前述の鞍田崇氏著『〈民藝〉のレッスン』の中の「愛おしさをデザインする」(52頁―55頁)で語られている内容がとても参考になりました。)
確かに、民藝を通じて“愛おしさ”を感じ取るという点においては理解が深まったかに思えましたが、まだ観念的なものであり、ぼんやりしたものでした。
ところが前述の通り、寺尾紗穂さんの歌う労働歌から民藝のインティマシーと同様の感情をダイレクトに受け取れたと感じたのはどうしてでしょう。寺尾さんの他のアルバムも聴いてみました。彼女の歌う“わらべうた”はもちろんなのですが、他のオリジナル曲も共通して深く“愛おしさ”を湛えるものでした。アルバム「わたしの好きな労働歌」収録の「あらぐれ」では、このところ日本のアイデンティティをユニバーサルで自然に表現して気になっていた若きシンガーソングライター折坂悠太さんの歌声も飛び出し、これも何かの御縁なのかと腑に落ちるものがありました。
民謡についてですが、江戸時代以前は庶民が歌う“労働歌”・“祭礼歌”・“祝い歌”などは、“小唄”・“端唄”・“俗曲”・“在郷節”などと呼ばれていたようですが、明治から大正時代に民俗学者によって「民謡」と括られ、民間伝承のひとつとして採集と研究が進みました。これに関連して、「民話」の世界も深く民藝の愛おしさと通底しているように思えて来ました。「民藝(民衆的工藝)」は柳宗悦らによって、「民謡(民間歌謡)」、「民話(民間説話)」は柳田國男らによって同時代の潮流のなかで概念化されています。
そこで民藝が内包する暮らしの思想を考えるとき、民謡や民話が内包する思想や感性をメディアミックス、または比較して使ったほうが理解しやすいのではないかと思った次第です。このところ、垣根を越える若きクリエーター達が現れ、既にそれらを敏感に感じ取っていて、それぞれの表現を始めているように感じていました。
何故愛おしさに向かうのか、何に向かっての愛おしさなのか。民藝という思想はそれを知るための扉のひとつとして常に我々の前に開かれているのではないでしょうか。
