やきもの紀行 (旧ぐい呑み旅)
その三 京都清水 1988年頃
ちゃわん坂
わたしが生まれ、高校まで育った京都は古より窯業の盛んな街です。数多の陶工が多様なやきものを産み出してきた街です。(京都におけるやきものの歴史は千二百有余年前に遡ります。奈良時代に、僧行基が東山区清閑寺に窯を築いて土器を製造しており、その遺跡が茶碗坂といわれています ー 京都府H Pの伝統産業より)。
窯業地の特徴として、東山山麓の坂の傾斜が築窯に適していたのでしょう。現代に繋がる京焼の始まりは、当時窯業の先進地であった美濃、尾張から移り住んだ陶工がその礎えを築いたもののようです。仁清も瀬戸へ修行に赴いたと言われています。
さて、もうかれこれ30数年前、ぐい呑みに目覚めたわたしは清水の“ちゃわん坂“を歩いていました。地元の人でも、清水寺の往還に清水坂、産寧坂、ニ寧坂を歩いても“ちゃわん坂“を行く人は少ないと思います。坂を下る途中に古いちゃわん屋を見つけて立ち寄りました。当時でも古い屋並みは少なくなり、このようなちゃわん屋は少なくなっていました。お婆さんがひとり店番をされていました。店内は日中ながら薄暗く、最期の暖簾を守っておられる風な空気が漂っていました。染付磁器が中心で、棚に並べてあった小さな呉須絵のお猪口の美しさに目がとまりました。高台裏に“平安草泉“と銘が入っています。値を尋ねると、「3000円にしときます」と返事がかえってきました。わたしが(こんなに小さいのにと)驚いていると、「祥瑞やし、薄くて透けてみえまっしゃろ、そやからそのくらいしますんや」とのこと。成程、大盃で一杯やるのも良いが、背伸びしてこんな染付の小盃でちびちびやるのも粋と買い求めました。
後年、この盃は煎茶道具の内、茶碗5客揃えの一碗と知りました。成程、三浦竹泉をはじめとして平安○泉と銘打つものは、煎茶道に拘るやきものが一般的。その頃、斜陽産業となっていた商いで、お婆さん売れない数万円する道具一式を止むを得ずバラ売りして凌いでいたのですかね。勝手に酒器と思い込んだわたしの勘違いでした。まだ無知で怖いもの知らずであった頃の今は懐かしい思い出です。
メモ
清水焼にいついて
清水焼団地共同組合(清水、山科地域)https://www.kiyomizuyaki.or.jp
京都青窯会協同組合(泉涌寺地域) http://www.seiyoukai.com
京都日吉製陶協同組合(日吉地域) http://www.hiyoshikumiai.com
共同組合炭山陶芸 (宇治市炭山地域) https://sumiyama.kyoto
購入価格: 3000円
寸法(mm): 長径 54 x 短径 29 x 高さ 42
箱.箱書き; 無






