Ceramics Chroniclesは、日本をベースとして陶芸シーンに起こった様々な事象を綴るパーソナルアーカイブスを目指しています。


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やきもの紀行 (旧ぐい吞み旅)

その十三 博多  1991年頃

星野焼、または小田志焼

ギャラリーや陶苑が未だ少なかった戦前から現在に至るまで、“百貨店美術画廊”は陶芸作家育成の重要な場所であったと思います。今は少なくなりましたが、地方百貨店ほど地域に密着した陶工を取り上げ、中央では知られていない作り手の励みとなって来たと思います。

私は仕事で1年間、博多に在住しましたが、そんな現地百貨店での思い出に残る作家さんが“星野焼 十篭窯(じゅうごもりがま)”丸田修一氏と“小田志 規窯(こたじ・ただしがま)”井上規氏のお二人でした。

丸田修一氏は佐賀県武雄黒牟田のご出身ですが、1975年福岡八女の星野に登り窯を築かれ、久留米有馬藩の八女茶に係る茶陶の復興と紫蘇手(夕日焼)の研究をされていました。
氏曰く、「主に杉灰釉を使い、紫蘇手を美しく発色させるには今も研鑽苦労の積み重ね」との事。まるで禾目天目の様な細かい線文が見事に赤紫蘇の色合いに結晶しています(*1)。
日本でも唯一の紫蘇手の名工ではないでしょうか。
現在もお元気で作陶、星野焼の振興に尽力されておられるようです。

井上規氏は、若い頃よりクラフトデザイナーとして主に磁器の仕事を続けて来られましたが、朝鮮古陶磁の美と精神性に惹かれて土物を手掛けられたとの事。小田志焼は武雄南部系(*2)に属するやきもので秀吉朝鮮出兵の頃より続く古窯の一つ。朝鮮古陶磁の再現には適した場所だったと思われます。氏は温厚・紳士風の佇まいで、ご子息浩一氏と共に会場で真摯に対応される姿が印象的でした。白地掻落牡丹文の酒器が珍しくて連れ帰りました。その後、小田志焼規窯は浩一氏が引継がれた後、2012頃廃窯されたようです。

【 メモ 】
(紫蘇手)
寸法(mm): 長径57 x 畳付き径32 x 高さ62 (内高台12)
箱.箱書き;有

(白地掻落牡丹文)
寸法(mm): 長径64 x 畳付き径27 x 高さ40 (内高台6)
箱.箱書き; 有

(*1)紫蘇手は九州諸窯では古上野にも見られますが、鉄釉系の茶褐色のぼってりした釉調です。丸田氏の紫蘇手は自ら“夕日焼”と呼んでおられるように赤見が強く、結晶釉の様に景色が美しいのが特徴です。

(*2)「小田志は、小田志焼として武雄南部系に属し、開窯は慶長年間とも寛文年間ともいわれ象嵌・刷毛目を主体とした徳利・捏鉢・飯胴・水甕・片口・小壺等の雑器を焼き続けた長い歴史と伝統があり、白木原・樫の木山・椎の木谷・窯頭等の古窯跡が点在しており、この地に工房を開くことの出来たのも何らかの縁につながるものと思います。」 (小田志規窯栞よりの抜粋)


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